Aug 12 2008
クロアチア ウェディングコーディネーターとの出会い
こんにちは、海外ウェディングコーディネーターの林です。
唐突ですが、私が現在手がけているウェディングのロケーションは
恐らく10弱になると思います。ロケーションというのは挙式会場ではなく、
地域というのでしょうか、日本の東京、大阪 そんな括りで分けた感覚です。
もちろんヨーロッパ内、国もまたがるわけですから、各国の言語を話せるわけでもなく、
全てを一人でコーディネートをしていくには限界があるわけです。
そこで私の強い味方となってくれるのは現地のウェディングコーディネーター。
そのウェディングコーディネーターを探すのも大きな私の仕事の一つです。
どのコーディネーターとも仕事をコラボレーションしていき、現在に至るまでには
色々なエピソードがあるのですが、中でもクロアチアのコーディネーターについて
本日は書きたいと思います。
私がクロアチアに注目したのは、今から3年前の2005年夏です。
ヨーロッパの友人が、クロアチアが今ブームだというのを聞きだしたからです。
フランス、イタリア、競合他社がたくさんいる中で、もう少しマニアックな場所は
ないかと考えていた矢先だったので、早速クロアチアでのコーディネーターを探し始めました。
通常、注目した地域で英語でネットサーフィンをしていると、10前後のコーディネーターや
会社が見つかるのですが、そのときはどんなに頑張ってもなかなかヒットしてきません。
恐らくクロアチアで探していたということと、地域を絞りこまなかったこともあったのでしょうが、
とにかく手元の資料ではどこがウェディングに適しているのか全くわからないですし、
むしろクロアチア全体を見回して、アドバイスしてくれる人を探していました。
やっと一社見つかったのは、旅行会社と兼任のウェディングプランナー。
できれば専門であってほしいなとは思っていましたが、いずれにしても手がかりが他も見つからず、
祈る気持ちでメールを送ったのを覚えています。
今までの経験から10のウェディングコーディネーターにメールを送り、まともに返信がくるのが、
恐らくその半数。さらにまともなやり取りができそうなのは3くらに絞られます。
ですから、そのときはたった1社。半ば諦め状態でメールを送ったのにも拘らず、
翌日にはしっかりした提案と英語のメールが返ってきて、一気に自分の中でクロアチアモードに
なったのをよく覚えています。
2005年の夏は2ヶ月間イタリアに滞在していたため、急速に縁を感じた私は、
すぐにクロアチアに行ってみたいと思いました。
そして1週間後にはクロアチアの大地を踏んでいたのです。